公務員時代のダメダメ職員な『がん』を振り返る。

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ちわっ。がんで~す。

今日はあんまり乗り気ではないが、がんの市役所時代を振り返ってみたいと思います。

ちょっとくだけた語り口で書いてますが、重々しい内容をいくらかでも軽くしようと思ってのことなので、ご勘弁を。

終わり悪ければすべて悪し

市役所には23年間在籍。

年齢でいうと、大学卒業後一年間、名古屋の民間の会社(ソフトウェアエンジニアの派遣会社)にいたので、23歳から46歳までいたことに。

まあ、あらためて思い返してみると、いろいろ楽しいこともあったけど、最後はうつ病で辞めちまった職場だからねぇ。。。

イヤな記憶のほうが圧倒的に多いw

辞めるときも職場にちゃんと挨拶に行けず、退職の一連の手続きはすべて女房まかせで、市役所の連中からすれば、

なんか知らないうちにフェードアウトしたやつ

だし。。。

そんな辞め方をしたもんだから、体裁が悪すぎて知ってるヒトに顔を合わせたくないっていうのと、市役所内のあの独特な空気に触れることでイヤな記憶がぶり返すんじゃないかっていう恐怖とで、辞めてから7年経つけど未だに市役所内に足を踏み入れられないもんね。

おそらく、これから先も、一生、行けないだろうなあwww

まっ、自業自得だけどね。

最初から何か間違ってたんだよね。

役所ってのは定期的に人事異動があって、仕事内容がコロコロ変わるのが普通なんだけど、がんはちょっと異端で、平成2年に役所に入って15年同じ仕事をやってました。

前職がコンピュータ関係ということで電子計算室(後に情報政策課)に配属なったんだけど、

専門的な仕事だから、とりあえず、あいつにやらせときゃいいや』

みたいに上から思われてたんだろうね。

まあ実際はそんなことは全然なくて誰にでもできる仕事だったんだけどね。

居心地がめちゃめちゃよい勝手知ったる職場に15年もいれば「俺様はこの街のコンピュータシステムを牛耳ってるんだぜ」なんて明後日の勘違いなんかしちゃって、おまけに周りも「よっ、コンピュータのエキスパート!」なんておだてちゃってくれたりして。。。

結果、実力が何もないくせにプライドだけやたら高い鼻持ちならない超やなやつのできあがり。って訳さ。

見事にカンタンにへし折れる

だけどいつまでもそんなゆるい場所にいられるほど人生は甘くない訳で、平成17年に俗に言う『平成の大合併』があり、がんが働いていた市も吸収合併され、コンピュータとは無縁の部署に異動となり、そこで、あらためて自分のほんとの立ち位置を知ることになるわけ。

地方公務員としての基礎知識がゼロで事務処理能力もまったくない、それでいて、15年の間に無限に増殖していった鼻持ちならないプライドに邪魔されてヒトに聞くことも、ヒトの話を素直に聞くこともできない『どうしようもなく使えないダメダメ公務員』っていう現実を。

 

いやあ、早かったね。つぶれるのwww

4月に異動になって、6月にはうつ病発症だもんね。

 

で、一ヶ月の自宅静養でしれっと職場復帰。別の部署にだけどね。

もう無いと思っていた二度目が。

上記のうつ病発症は、がん38歳の夏のこと。

ここからまた7年は平穏な日々が続くんだよね。

ただ、復帰当初は必死だったよ。

風船のようにパンパンに膨れ上がっていたプライドをかなぐり捨て、泥臭い地味な作業もいとわずに、なんとか『普通の公務員』になろうとがんばってた。

うつ病持ちというハンデを何とかしてはねのけようっていう思いもあったしね。



おかげで、公務員としてやっていく自信も芽生えたんだけど、やっぱどこか浮ついてたんだろうね。

ある程度、普通の公務員になる目処がついちゃったら、ネットビジネス(アフィリエイト)が気になりだしちゃって、家に帰るとコソコソとパソコンをせせくったりしてた。

 

そして、運命の2012年(平成24年)の春。

市役所の業務のなかでも職員の不人気ランキングおそらく1位の児童虐待&DV対応の部署に異動に。

 

いやあ、今度も早かったね。

まさしく平成17年のデジャブで、4月に異動で6月に二度目のうつ病発症。

ただ、今度は1ヶ月で復帰っていう訳にはいかなかった。

自分のなかで、二度目に発症したら役所を辞めるって決めてたからね。

アフィリエイトを専業にして一生懸命やればなんとかなるや』って、今から思うとクソみたいな世間知らずのあまっちょろい将来展望も後押ししてたと思う。

ということで、年度替わりの3月まで休職して、2013年3月31日をもって23年間の市役所職員生活にピリオドを打ちました。しゃんしゃん。

 

この続きはまた(`・ω・´)ゞ

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